昭和42年9月23日 夜の御理解
お届け帳による霊祭の参拝はだいだい500ぐらいでございますけれども、そのお届けとか参拝という事の関係によってここに御霊のお祭を受けられた御霊様の数というとは、それこそ大変な事だろうと思います。それこそあの、今日の(ひるやま?)さんというか善導寺の原さんあたりの例のように、今朝のお夢の中に、( ? )に、御霊様たちが私も一緒に連れて参ってくれといったようなお知らせを受けられたという事でございますから、その、御霊様達が参拝されたというか、救いを求めておられるといったような、まあ御霊の数というたらもう、それこそ大変な数にのぼる事だろうとこう思うのですね。そういうほとんどの霊神様達、御霊様達同様に、(有難うございます?)同様に、その現世幽世を通して助からせて頂けるという事は、生神金光大神のお取次ぎによって天地の親神様のおかげを受ける為には、いかにただここに集まってきたというだけではなくてです、いかに生神金光大神天地金乃神一心に祈らせて頂く事は和賀心にあるのだという事を感じんわけにはまいりません。御霊様でもそうなんです。御霊様自体の、お御霊様自体が、和らぎ賀ぶ心を持ってしなければ、すがってみえましても助かる事ができないという事です。
★今私あの、( ? )、御霊様の前に出ましてからご挨拶させて頂いてから頂く事は、祖先賛詞じゃなくてから、天地書附でございます。天地書附のそれを頂く。で、私は今晩はあの、祖先賛詞を奏上せずに、天地書附を奏上いたしました。御霊様の( ? )で助かりたい、救われたいと願われるなら、生神金光大神天地金乃神一心に願いなさい、それはあなた方の心の一人ひとり、一柱一柱の御霊様の心の中に和らぎ賀ぶ心を求め願わなければいけんのですよという事だと私は思うんですね。そこにこれはあの世この世を通して和賀心というものを頂かせてもらわなければ、御霊の救いもなからなければ私共の助かりもないという事をあらためて感じますですね。
どうぞ。